12/8 若い人のための日曜日の聖書  待降節第二主日 マタイ 3:1-12

待降節のろうそく。二つ目に火がともりました。

すでにFacebookにも載せているのですが、私たちの修道院は、耐震工事のために新築することになり、このほど1年半の工期を終えて、新しい修道院が完成しました。

この工事の修道院側の責任者の1人であった私は、完成した修道院への引っ越しを、12月3〜4日に設定しました。
引き渡しが11月29日でしたから、残工事やら、設備の取り付けやらを考えると、少し早すぎるのではと言う声もありました。
私としては、クリスマスの頃には落ち着いた生活が営めるようにと考えての決定でした。

準備は、早めに始めたつもりでした。
まず、今まで使っていた家具のサイズを測り、全てを写真に収めて、椅子とかテーブルとか種類別に一覧表を作りました。
そして、どの家具をどの部屋に入れるかを決めていきました。

監督さん方から、30分の1の図面をいただき、各部屋のレイアウトを考えました。
それまでも、建築関係の打ち合わせのたびに図面を見る機会はありましたが、30分の1の図面をいただいて初めて具体的、そして立体的にものが考えられるようになりました。

同時に、引っ越し業者さんとの打ち合わせを2回して、提案してくださったプランを検討しました。
修道院内でも、日程表やタイムテーブルを作り、2回の説明会を持ちました。
必要な段ボール箱の個数を割り出して注文し、そこに貼る張り紙を作りました。また、当日働いてくださる方々が迷わないように、各部屋に大きくその部屋の名前を書いて、レイアウトと共に貼りました。

さて、これだけ準備をしたのだから、当日は楽ちん…とはいきませんでした。
働いてくださった方々は、私たちに大変よくしてくださいました。
運び残したものがないかどうか、何度も確認してくださいました。
家具の位置をわずかに動かすこともいとわず、こちらの望みをよく聞いてくださいました。
それでも「闘い済んで日が暮れて」、今まで住んでいた棟はあちこち散らかり放題、あれがないこれがないで右往左往しなくてはなりませんでした。
私自身も、仕事をする部屋も寝る部屋も変わったので、何がどこにあるのやらさっぱり分からない状態に陥ってしまいました。
一番傑作なのは、探していたものをやっと見つけたと思った瞬間にまたそれがどこかに紛れてしまい、全く情けないやら悲しいやら、がっかりするやらおかしいやらでした。

このごたごたの最中に、待降節が始まったのです。
そしてごたごたしながら今日、待降節第二主日を目前にして、つくづく思わされた事は、
「イエス様、あなたを迎える完璧な準備なんて私にはできません」
と言うことでした。
この引っ越しの準備がイエス様をお迎えする準備に重なってきたのです。

完璧な準備はできませんが、それでもイエス様をお迎えするために必死になることだけはできます。
そしてイエス様は必死になっている私を喜んでくださるだろうと思うのです。
また、生まれてくるイエス様の準備を全くおできにならなかったであろうマリア様のことも思われました。

待降節、準備しながら待ちわびる季節。
引っ越しの疲れをあなたにお捧げします。どんなに疲れていても、どうぞ姉妹たちに機嫌よくできますよう、お恵みをください。  (Sr.斉藤雅代)

≪聖書箇所≫ マタイ 3:1-12

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」