1/5 若い人のための日曜日の聖書  主の公現の主日 マタイ2:1-12

教皇様のInstagramから。学者たちが見つけたのは、もしかしたら、このような姿の聖家族だったかもしれませんね。

旅行に出かける時、あなたは荷物の多い方ですか、それとも少ない方ですか?

もちろん行先にもよりますね。私はミニマリストではありませんが、基本的には少ない方と思います。着るものからシャンプー、歯磨き、それにお米やうめぼしに至るまで持っていくより、何にせよその土地のものをあじわった方がよい、と私は思っています。よく海外に出かけた若い時は、旅行用の小さいサイズのものが売っていないので、スーパーでレギュラーサイズを買い、残りは自分用のおみやげにしていました。その結果、日本では見たことのない面白い色の歯磨きとか、変わった香りの石鹸とか、旅が終わってもしばらくの間、その余韻を感じることができました。

さて、「星」の導きを信じて遠くから旅してきた学者たち。イエス様へのお土産(黄金、乳香、没薬)の他には、何を持っていたのでしょう。よく、ラクダに乗った絵を見ますが、その背中に何を積んでいたのでしょう。

私の祈りの中では、突然星を見つけて、あわてて旅支度を整える学者さんたちなのですが、これは私があわただしい性格だからかもしれませんし、この日のアレルヤ唱が「東の空に星を見て、すべてをおいて神を拝みに来た」となっているからでもあるでしょう。きっと彼らはお土産以外はほとんどなにも持たず、ひたすら東を目指したのでしょう。その情熱には、まったくもって驚かされます。

そして彼らは、救い主を拝んだだけで満足して、自分の国に帰っていったのです。おそらく、再びイエス様と出会うことはなかったでしょう。「四人目の博士」という言い伝えがありますが、福音書にはこの後、学者たちは登場しませんから。

彼らを(また羊飼いたちを)「キリスト者」と呼べるでしょうか。私は「最初のキリスト者」と呼んでもよいような気がします。彼らが、信仰者の在り方を示してくれているからです。

何をおいても神をもとめ、ただ神に近づくだけで満足している姿です。あわただしい日常生活が始まる前の、この新年の静かなひと時、私も学者たちにならってこの一年を過ごしたい、旅の余韻を感じ続けたいと決心しました。幼子のイエス様、どうかこの弱い私の年頭の決心を忘れさせないでください。   (Sr.斉藤雅代)

≪聖書箇所≫ マタイ2:1-12

イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。