8/16 若い人のための日曜日の聖書 年間第20主日 マタイ 15:21-28

スルタン。本当にシェパードだったのかしら。

中米ホンジュラスで学生寮の仕事をしていた時、寮の庭で犬を飼っていました。

見た目はシェパードで、「スルタン(スペイン語でサルタンのこと。元は、トルコ語で、権威者や権力者という意味だそうです)」という立派な名前でしたが、泥棒が来ても一声も吠えず、大きな地震が起こった時には、文字通りしっぽを巻いて、犬小屋に頭をつっこんで震えている、という情けない犬でした。

私はどちらかというと猫派で、犬は苦手な方でしたが、この犬はちっともこわくありませんでした。

このスルタンだけでなく、中米の犬、特に野良犬はお腹をすかせて、あばら骨が見えるほどやせこけていて、人間を見ると、吠えるどころか何か食べ物をくれないかとすり寄ってくる犬が多かったです。レストランの野外に置かれたテーブルの下には、必ずこのような犬がうろうろしていました。食べるために必死になっている姿はけなげでもあり、同時に切なかったです。

今回の福音箇所を読んで、このような犬たちを思い出しました。

イエス様の時代の食卓の下の子犬も、やせて、たまにめぐってくる果報を、うろうろしながら待っていたのかもしれません。

「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」。

神に選ばれたユダヤ人に比べたら犬に等しい異邦人のあなたたちに、奇跡を行えようか。

意地悪とも皮肉ともとれるイエス様の言葉に、この女性は応酬します。

「恵みのはしきれで結構ですから」。

私なら「もう結構です。あなたにはお願いしません」と腹を立てて去って行ったことでしょう。

そこまで祈って、気付きました。そう、私は母ではないのです。このお母さんのように、侮辱されようが何されようが、自分のすべてに代えても守りたい、と思う子どもがいないのです。

母は強し。

イエス様、あなたはきっと、この女性の「母としての強い願い、強い信仰」を引き出すために、おかしな表現をされたのですね。

イエス様、あなたは時々素晴らしい教師ですから。

どうか、弱い私に私なりの信仰が育つように、力を貸してください。

強い母でありながら、弱い者の味方であるマリア様、どうか、あなたの御子にそのように執り成してください。           (Sr.斉藤雅代)

※画像は、

中米ホンジュラスで学生寮の仕事をしていた時、寮の庭で犬を飼っていました。

見た目はシェパードで、「スルタン(スペイン語でサルタンのこと。元は、トルコ語で、権威者や権力者という意味だそうです)」という立派な名前でしたが、泥棒が来ても一声も吠えず、大きな地震が起こった時には、文字通りしっぽを巻いて、犬小屋に頭をつっこんで震えている、という情けない犬でした。

私はどちらかというと猫派で、犬は苦手な方でしたが、この犬はちっともこわくありませんでした。

このスルタンだけでなく、中米の犬、特に野良犬はお腹をすかせて、あばら骨が見えるほどやせこけていて、人間を見ると、吠えるどころか何か食べ物をくれないかとすり寄ってくる犬が多かったです。レストランの野外に置かれたテーブルの下には、必ずこのような犬がうろうろしていました。食べるために必死になっている姿はけなげでもあり、同時に切なかったです。

今回の福音箇所を読んで、このような犬たちを思い出しました。

イエス様の時代の食卓の下の子犬も、やせて、たまにめぐってくる果報を、うろうろしながら待っていたのかもしれません。

「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」。

神に選ばれたユダヤ人に比べたら犬に等しい異邦人のあなたたちに、奇跡を行えようか。

意地悪とも皮肉ともとれるイエス様の言葉に、この女性は応酬します。

「恵みのはしきれで結構ですから」。

私なら「もう結構です。あなたにはお願いしません」と腹を立てて去って行ったことでしょう。

そこまで祈って、気付きました。そう、私は母ではないのです。このお母さんのように、侮辱されようが何されようが、自分のすべてに代えても守りたい、と思う子どもがいないのです。

母は強し。

イエス様、あなたはきっと、この女性の「母としての強い願い、強い信仰」を引き出すために、おかしな表現をされたのですね。

イエス様、あなたは時々素晴らしい教師ですから。

どうか、弱い私に私なりの信仰が育つように、力を貸してください。

強い母でありながら、弱い者の味方であるマリア様、どうか、あなたの御子にそのように執り成してください。           (Sr.斉藤雅代)

≪聖書箇所≫ マタイ 15:21-28

(そのとき、)イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

 

≪聖書箇所≫ マタイ 15:21-28

(そのとき、)イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。