8/2, 8/9 若い人のための日曜日の聖書 年間第18・19主日 マタイ 14:13-21, 22-33

この修道院の新築祝いにいただいて、今は食堂に掲げてある「五つのパンと二匹の魚」のモザイク。ガリラヤ湖畔の、パンの奇跡の教会のモザイクを模したものです。

罰するためではなく、目覚めさせるために・・・

もう皆さまご存知でしょうか。

ネット上で話題を呼んでいる詩『コロナウイルスから人類への手紙』(ヴィヴィアン・リーチ作)。

地球は囁きました、
でもあなたは耳を貸さなかった
地球は話しました、
でもあなたは聞かなかった
地球は叫びました、
でもあなたは耳を塞いだ

そして、私は生まれました・・・

私はあなたを罰するために
生まれたのではありません・・・
私はあなたの目を覚ますために
生まれたのです・・・

この手紙は長く続きますが、最初のこの部分で、私は鼻の奥がツンと痛くなりました。

コロナウイルスが、人間や動物や草木のように、神様から創造された「いのち」のひとつだとしたら、こんなメッセージをもっていてもおかしくありません。

罰するためではなく、目覚めさせるために・・・

さて、今回と次回の福音箇所で、イエス様は弟子たちを教育しているようです。

人間の頭で考えたら何もかもが無理な状況の中で、自分で考え、自分でその状況から脱出するよう励ましてくださいます。

「あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい」。

「なぜ疑ったのか」。

そして、最終的にはやはり、弟子たちに手を貸してくださいます。

自らパンを割いて配るように指示し、沈みかけたペトロをすぐに手を伸ばして力強く引き寄せてくださいます。

この聖書箇所で「私のもっとも好きなイエス様」は、弟子たちがパンを配りやすいように群衆を草の上に座らせたところです。もちろんこの部分には、もっと神学的な解釈もありますが、私の祈りの中では、生徒である弟子たちのために細やかな配慮をする「教師イエス様」です。

イエス様、今こそ、私たちに知恵を与えてください。安易な“With Corona”ではなく、コロナに覚醒されて真の「新しい生活様式」を生み出すことができますように。

8/8から、修道院内で姉妹たちとともに黙想に入るので、今回は、ちょうど切れ目なく続いている2回の主日の福音箇所を扱うことにいたしました。     (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マタイ 14:13-21, 22-33

イエスは(洗礼者ヨハネが死んだこと)を聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。(人々がパンを食べて満腹した後、)イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、「幽霊だ」と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」すると、ペトロが答えた。「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。」イエスが「来なさい」と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、「主よ、助けてください」と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、「本当に、あなたは神の子です」と言ってイエスを拝んだ。