7/26 若い人のための日曜日の聖書 年間第17主日 マタイ 13:44-52

『あなたはあなたが使っている言葉でできている』

ドキッとすようなタイトルに惹かれて、この本(ゲリー・ジョン・ビショップ著、2018年)を読み始めました。

わりあい最初の方に「本当にその目標を達成したいのか」という章があり、次のように書かれていました。

夢を追い求めるのが悪いと言っているんじゃない…問題は、そもそもなんでそうしたことを目標にしたのかを忘れてしまっている人が多いことにある。人間は、よく考えたらさほどほしいわけじゃないのに、持っていないからという理由で何かを欲しがる生き物だ。…それでもどうしてもほしいなら、歩み出せばいい。今日から着手し、作戦を立て、現実を乗り越え、何より手に入れるための行動を取ろう!

今回の福音と重なってきました。畑の宝や良い真珠を見つけた人は、すべてを売り払ってそれを手に入れようとする。

私は今までそうしたことがあるだろうか、と振り返りました。

修道生活を選んだことは、ある意味「すべてを売り払った」と言えるかもしれません。

「さほどほしいわけじゃないのに」どころか、「この生活しかない」「すべてを神様にお捧げしたい」と思って選んだことも確かです。

それでも、何かと理由をつけて、こっそり「取り戻していること」の何と多いことでしょう。

そして今は?

あまりにも受動的な修道生活になっているかもしれません。

「天の国は力ずくで襲われており、激しく襲う者がそれを奪い取ろうとしている」(マタイ11:12)。

この聖句の意味は、長い間私の中でぼんやりしていましたが、今、やっとはっきり分かった気がします。

今日からまた、神様といっそう深く一致できる場「天の国」を、すべてを投げうって、激しく襲おう、そんな元気を、聖書とこの本からいただきました。

「あなたはあなたが使っている言葉でできている」。

この「言葉」が、私にとって「みことば」でありますように!

これを読んでくださっているあなたは、どんな「言葉」でできていたいですか?   (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マタイ 13: 44-52

(そのとき、イエスは人々に言われた。)「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」
「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」