「素直でない人は損をするわねえ」。
まだ若いシスターだった頃、先輩姉妹から言われた言葉です。
当時、同じ部署で働いていた同年代のシスターと比較された、とくちびるを噛む思いでした。
そして「でもでも、私は『いやです』と言いながらも、やる方なんだから」と心の中で叫んでいました。
数年後に、先輩シスターに確認したところ
「違うわよ。2人とも素直ではなかったわ」
とのこと。
素直になれない自分、嫉妬している自分との葛藤は何だったのだろうと、これまた複雑な思いに捕らわれました。
心理学の分野では、「素直な人」とは、幼い頃の親(または親に代わって育ててくれた人)との関係が安定していて、どのような「私」であっても「私」を「私」として受け入れられた経験をもつ人が、素直に自分を表現できる状態のことを言うようです。「男の子だったらよかったのに」とか「お姉ちゃんのように聞き分けが良かったら」というような比較や、ネグレクトや、逆に「この子はできないからやってあげなくては」というような過干渉は、よかれと思ってしたことでも、子どもに傷をつけ、生涯にわたって子どもを苦しめることになりかねません。
今回の福音箇所のたとえ話に出て来る兄と弟。
どんな成育歴をもっていたのかと気になります。
そして、兄のようだった徴税人や娼婦たち、弟のようだった祭司長や民の長老たち。
それぞれの人にそれぞれの背景があり、その裏の心をご存知なのは神様だけ。
だから表面だけで互いに裁くことはできない。できるのは、「素」のままの人を見て、自分の態度や考え方を修正していくこと。
この修正が、主よ、一歩でもあなたに近づく道となりますように。 (Sr.斉藤雅代)
≪聖書箇所≫ マタイ21:28-32
(そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。)「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」