10/4 若い人のための日曜日の聖書 年間第27日 マタイ 21:33-43

今年の中秋の名月。修道院の庭に何本もある金木犀がほのかに香り、最高の名月でした。この月を創ってくださったのも、金木犀を香らせているのも神様。まったく、かないません。

あなたは、信じていた人から裏切られた経験がありますか?

私は、おめでたい人間なのか、鈍感だったのか、かなり年齢が進んでから初めて、小説や、ドラマで見聞きするような「裏切り」と言うことが現実にあるのだと知りました。
かなりショックでした。

今日の福音箇所は、イエス様の3回の受難予告の後に入っている、いわば4回目の、例え話の形で語られる受難予告です。

これを語りながらイエス様はどのようなお気持ちだったのだろうかと気に掛かります。

私のようなつまらない人間が受ける裏切りではなく、正しい人であり神の子であるイエス様が裏切られる—そしてそれを神様が許しておかれる、どころか、この裏切りを利用して世の救いと言うことが起こっていく。

神様の壮大さを感じさせられる場面でもあります。

家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。
これは、主がなさったことで、私たちの目には不思議に見える。

日本風に言い換えるならば、

「大工さんが捨てた木が大黒柱になった」。

とでも言うべきでしょうか。

つくづく、つくづく神様のなさる事は不思議です。

この不思議な神様に、もっともっと魅せられて生きていきたいと思います。      (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ マタイ21:33-43

(そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。)「もう一つのたとえを聞きなさい。ある家の主人がぶどう園を作り、垣を巡らし、その中に搾り場を掘り、見張りのやぐらを立て、これを農夫たちに貸して旅に出た。さて、収穫の時が近づいたとき、収穫を受け取るために、僕たちを農夫たちのところへ送った。だが、農夫たちはこの僕たちを捕まえ、一人を袋だたきにし、一人を殺し、一人を石で打ち殺した。また、他の僕たちを前よりも多く送ったが、農夫たちは同じ目に遭わせた。そこで最後に、『わたしの息子なら敬ってくれるだろう』と言って、主人は自分の息子を送った。農夫たちは、その息子を見て話し合った。『これは跡取りだ。さあ、殺して、彼の相続財産を我々のものにしよう。』そして、息子を捕まえ、ぶどう園の外にほうり出して殺してしまった。さて、ぶどう園の主人が帰って来たら、この農夫たちをどうするだろうか。」彼らは言った。「その悪人どもをひどい目に遭わせて殺し、ぶどう園は、季節ごとに収穫を納めるほかの農夫たちに貸すにちがいない。」イエスは言われた。「聖書にこう書いてあるのを、まだ読んだことがないのか。
『家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。これは、主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える。』
だから、言っておくが、神の国はあなたたちから取り上げられ、それにふさわしい実を結ぶ民族に与えられる。」