私がFacebookのプロフィール写真に使っている画像は、2年前の今頃、イグナチオ教会で撮ったものです。素敵でしょ? ラッキーなことに音は聞こえないし、ね。
毎年、1月上旬には、東京近辺に住むシスターたちの新年の研修会があり、その折にごミサ(菊地大司教様の司式でした)のオルガンを弾かせていただいた時のものです。
毎年・・・もちろん今年は中止で、主催の東京教区修道女連盟の役員さん方が、講師に招いていたお二方の講話をYouTubeで配信してくださいました。
最初の講話は、イエズス会の英隆一郎神父様による「奉献生活(修道生活のこと)とコロナウイルス」でした。
YouTubeですので、シスターでなくても、だれでも見ることができると思います。(403) 2021年東京修女連 新年の研修会 3)英隆一朗神父の講話 「奉献生活とコロナウイルス」 – YouTube
神父様は、一昨年の教皇様の来日時(まさにコロナ禍の直前!)のメッセージから説き起こし、コロナ禍によってまったくメッセージとは反対の状況に甘んじている私たち(教会や修道会)への警鐘と示唆に富んだ内容の講話を展開してくださいました。
その中で、「空間がゆがめられている」という言葉が印象的でした。
すでにグローバリゼーション、あるいは資本主義によって空間がゆがんでいた。
またネットも空間をゆがめていた。
そこにコロナがやってきて、さらに空間がゆがめられ、制限された。
みんな一緒に引きこもり状態で、ネットに頼らなくてはならない。
しかも、リアルとネットのどちらかを選ぶ自由があるのでなく、ネットしか頼れない状態。
ポストコロナの最大の課題は、空間を取り戻すこと。
教皇様がおっしゃったように、「出向いていく教会」「野戦病院のような教会」「羊の匂いのする司祭のいる教会」「門を開いている教会」に戻れるか。
今回の福音箇所で、イエス様はご自分に付いてきたペトロとアンドレに言います。
「来なさい。そうすれば分かる」。
2人はさらに付いて行って、イエス様のもとに泊まりました。
もしここで空間の時間を共有しなければ、二人は弟子にはなっていなかったかもしれません。
このコロナ禍の間、様々な人とネットでコンタクトを取りながら、私な何度「落ち着いたら遊びに来てね」とメッセージを書いたことでしょう。
これは、定型句ではありません。
どうぞみなさん、ここにいらして、私たちの生活を見てください。
そしてもしよろしければ、私たちと共に神様のために働いてみませんか?
教皇様のおっしゃる教会を、ポストコロナの時代に取り戻すために!
シスターになる方法もありますし、普通に仕事を続けたり結婚したりしながら神様のために働く方法もありますよ。
コロナが終わったら! (Sr.斉藤雅代)
≪聖書箇所≫ ヨハネ1:35-42
(そのとき、)ヨハネは二人の弟子と一緒にいた。そして、歩いておられるイエスを見つめて、「見よ、神の小羊だ」と言った。二人の弟子はそれを聞いて、イエスに従った。イエスは振り返り、彼らが従って来るのを見て、「何を求めているのか」と言われた。彼らが、「ラビ―『先生』という意味―どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエスは、「来なさい。そうすれば分かる」と言われた。そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。そしてその日は、イエスのもとに泊まった。午後四時ごろのことである。ヨハネの言葉を聞いて、イエスに従った二人のうちの一人は、シモン・ペトロの兄弟アンデレであった。彼は、まず自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシア―『油を注がれた者』という意味―に出会った」と言った。そして、シモンをイエスのところに連れて行った。イエスは彼を見つめて、「あなたはヨハネの子シモンであるが、ケファ―『岩』という意味―と呼ぶことにする」と言われた。