4/17 若い人のための日曜日の聖書 復活の聖なる徹夜祭  ルカ 24:1-12

「友愛の家」チャペルの小さな復活ろうそく

「今日は、聖土曜日のように深く静まって過ごしてください」。

昨秋30日の黙想をした折に、イエス様の死を黙想する日に神父様から言われた言葉です。

思わず

「神父様、聖土曜日を静かに過ごしたことなんてないです」と言ってしまいました。

学校使徒職に就いていれば、たいてい年度当初のあわただしさの真っ最中。教会に奉仕していれば、典礼の準備、洗礼式後のパーティーの準備、卵の準備・・・同じようにしなければならないことが山ほどあります。さらに、聖なる三日間の典礼には、年に一度しか歌わない聖歌が続出しますから、オルガンを練習し、姉妹たちと歌の練習をし・・・と、書いていたらきりがありません。

ところがです。

今年は、コロナのために典礼の縮小が推奨されていますから、聖木曜日の洗足式をはじめとして、省略されたものがたくさんあり、おかげで、というのもヘンですが、例年よりずっと静かに過ごせました。何より、復活の主日の聖歌を、聖土曜日に教会から戻って練習できたので、時ならぬ「アレルヤ」を音量を絞って練習する必要がありませんでした。

これを機に、聖なる三日間の過ごし方も、再考したらよいのでしょう。クリスマスも同じことですが、本末転倒にならないようにしたいです。

陰府に下り、三日目に復活されたイエス様とともにあること。

私たちも見るも無残に爆撃された世界という「陰府」、これがとりもなおさず私たちの内面であるという事実に直面し、復活を心から待ち焦がれること。そして復活を、心の底から喜ぶこと!

皆さま、主のご復活おめでとうございます!

≪聖書箇所≫ ルカ 24:1-12

週の初めの日の明け方早く、(婦人たちは、)準備しておいた香料を持って墓に行った。見ると、石が墓のわきに転がしてあり、中に入っても、主イエスの遺体が見当たらなかった。そのため途方に暮れていると、輝く衣を着た二人の人がそばに現れた。婦人たちが恐れて地に顔を伏せると、二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだガリラヤにおられたころ、お話しになったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。そして、墓から帰って、十一人とほかの人皆に一部始終を知らせた。それは、マグダラのマリア、ヨハナ、ヤコブの母マリア、そして一緒にいた他の婦人たちであった。婦人たちはこれらのことを使徒たちに話したが、使徒たちは、この話がたわ言のように思われたので、婦人たちを信じなかった。しかし、ペトロは立ち上がって墓へ走り、身をかがめて中をのぞくと、亜麻布しかなかったので、この出来事に驚きながら家に帰った。。