5/1 若い人のための日曜日の聖書 復活節第三主日 ヨハネ 20:1-19

ルルドのはじっこのよもぎ

皆様にとって、一番小さいときの記憶はどんな記憶でしょうか?
私の記憶は、ある春の日に、私を乳母車に乗せた祖母が、当時区画整理をしていた家の前の大きな石がゴロゴロしている道をガタガタと通り抜けて、近くの川の土手まで行き、そこでよもぎを摘んだと言うものです。
このゴロゴロした石の上で転んだら痛そうだなぁと思ったこととか、その時は何のために摘んでいるのか知らなかったよもぎの香りなど、切れ切れに思い出すことができます。

連休中の一日、庭の蕗で煮物を作り、いただいた卵でプリンを作り、それからよもぎを摘んでいたら、突然この記憶がよみがえってきました。

そして、どこかに遊びに行く連休でなく、こんなふうにのんびりした連休もいいなあ、連休が終わったらまた一生懸命働こう、と活力が湧いてきました。

復活のイエス様を語る福音書は、しきりにガリラヤという地名を繰り返します。そして今回のヨハネによる福音書の復活の舞台もガリラヤ。ガリラヤ湖の別名である「ティベリアス湖」での出来事です。

ガリラヤは、弟子たちにとって、イエス様と初めて出会った大切な場所。何人かの弟子にとっては、この湖畔で漁をしていた時に声をかけられた大切な場所。

その同じ場所で、この日も漁をする中で、弟子たちは復活のイエス様と出会います。あの日の記憶が現在と重なり、まず弟子たちがおなかをすかせていないかと心配してくれるイエス様の大きな愛に包まれて、弟子たちの代表格であるペトロは、イエス様からさらなる使命をいただきます。

「私の羊を飼いなさい。しかし今までのようにあなたが考えるやり方で飼うのではなく、思いもよらない方法で、まったく見知らぬ場所で・・・私に従いなさい」。

この呼びかけに対して、福音書はペトロの答えを記していません。ヨハネ福音書が書き記されたころには、すでに記す必要もないほどペトロがこの言葉に従っていたからかもしれません。

「私に従いなさい」という呼びかけは、今もいつも私たちにも向けられています。

特に今週、イエス様と初めて出会った場所を思い起こして、この呼びかけを響かせてみましょう。

「私にも聞かせてください」という、聖歌『ガリラヤの風かおる丘で』の結びのフレーズのように願いながら。

きっと、生きる活力をさらにいただけると思います。

 

≪聖書箇所≫ ヨハネ 21:1-19

その後、イエスはティベリアス湖畔で、また弟子たちに御自身を現された。その次第はこうである。シモン・ペトロ、ディディモと呼ばれるトマス、ガリラヤのカナ出身のナタナエル、ゼベダイの子たち、それに、ほかの二人の弟子が一緒にいた。シモン・ペトロが、「わたしは漁に行く」と言うと、彼らは、「わたしたちも一緒に行こう」と言った。彼らは出て行って、舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった。既に夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。だが、弟子たちは、それがイエスだとは分からなかった。イエスが、「子たちよ、何か食べる物があるか」と言われると、彼らは、「ありません」と答えた。イエスは言われた。「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」そこで、網を打ってみると、魚があまり多くて、もはや網を引き上げることができなかった。イエスの愛しておられたあの弟子がペトロに、「主だ」と言った。シモン・ペトロは「主だ」と聞くと、裸同然だったので、上着をまとって湖に飛び込んだ。ほかの弟子たちは魚のかかった網を引いて、舟で戻って来た。陸から二百ペキスばかりしか離れていなかったのである。さて、陸に上がってみると、炭火がおこしてあった。その上に魚がのせてあり、パンもあった。イエスが、「今とった魚を何匹か持って来なさい」と言われた。シモン・ペトロが舟に乗り込んで網を陸に引き上げると、百五十三匹もの大きな魚でいっぱいであった。それほど多くとれたのに、網は破れていなかった。イエスは、「さあ、来て、朝の食事をしなさい」と言われた。弟子たちはだれも、「あなたはどなたですか」と問いただそうとはしなかった。主であることを知っていたからである。イエスは来て、パンを取って弟子たちに与えられた。魚も同じようにされた。イエスが死者の中から復活した後、弟子たちに現れたのは、これでもう三度目である。
《食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。》