5月の連休の最後の日、同じ修道院で暮らしている姉妹の1人に誘われて、その姉妹の妹さんのおうちを訪ねました。
素晴らしく増えてしまったローズゼラニウムをいただきに行くと言うのが表向きの目的でした。
その姉妹は、実家を畳んで母が介護施設に入居して以来、お休み中に行くところのなくなった私を誘ってくれたのです。
この心遣いにも感謝ですが、その妹さん(私より少し年上)が、別れ際に「お友だちができてよかった」と言ってくださったことがとても心に響きました。
この年になると、友だちと言えば、何十年来の古い友だちばかり。
もちろん、旧友はありがたいものです。
でも、「新しい友だち」と言う言葉がとても新鮮に響きました。そして、初対面なのに新しい友だちと言っていただけた嬉しさを噛み締めました。
思春期に新しい友だちができたときのように、心がときめきました。
さて、最後の晩餐の席上で、私たちを「友」と呼んでくださった(ヨハネ15:15)イエス様は、私たちの誰もにとっても最も古い友だちです。
しかもイエス様は私たちを「すべてのものより偉大」とおっしゃいます。この言葉にはいくら何でも違和感があって、他の訳をしらべてみました。
「すべてにまさるものである」
「ほかのすべてのものより大切であり」
ああ、イエス様は、私たちを何よりも大切に思ってくださっているのだ、と躍り上がりたくなるくらいの喜びを感じました。
イエス様は私たちにとって、古い友であると同時に日々新しい友だちです。
朝ごとに、祈りの中で、ごミサの中で、また聖書を読む時、私たちに呼びかけてくださる友達です。この声を聞き分け、永遠の命をいただく羊でありたいと、心から願いました。
今この原稿を書いているお部屋には、花瓶に挿したローズゼラニウムのよい香りがただよっています。
この平和と喜びを享受させていただいている私が、ウクライナの現実に、世界の現実に、よりしっかりと目を向ける者であれますように。
≪聖書箇所≫ ヨハネ 10:27-30
(そのとき、イエスは言われた。)「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。わたしは彼らを知っており、彼らはわたしに従う。わたしは彼らに永遠の命を与える。彼らは決して滅びず、だれも彼らをわたしの手から奪うことはできない。わたしの父がわたしにくださったものは、すべてのものより偉大であり、だれも父の手から奪うことはできない。わたしと父とは一つである。」