以前、このエッセイに取り上げた話かもしれません。
ある時、公立の中学校から私たちの高校に入学してきた生徒のノートの余白に、「幼稚園(カトリックだった)の時に、呪文のように唱えていた『ちちとうことうせいれいとのみなみによって』とはどういう意味だったのですか?」と書かれていました。丸文字のひらがなで書かれたその字まではっきり覚えています。彼女にとっては呪文でしたから、ひらがなで記憶にある音をそのまま書くしかなかったのです。
しばし絶句。そして笑ってしまいました。
父と子と聖霊のみ名によって、アーメン。
一日に何回、十字を切るでしょうか。
そして、一日に何回、本当に「父と子と聖霊」を意識するでしょうか。
この「呪文」を唱えていた子どもより、ひどいかもしれません。意味が分かっていながら無意識なのですから。
三位一体の日を前に自分を振り返ってみて、心もとなくなりました。
イエス様は一番思い出しやすい方。次に神様。でも聖霊のことは、なかなか口にも心にも上りません。
「弁護者」「真理の霊」である方がご自身を顕してくださるときを待ちながら、せめて「父と子と聖霊のみ名によって」を心を込めて唱えたいと思います。
≪聖書箇所≫ ヨハネ 16:12-15
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」