11/13 若い人のための日曜日の聖書 年間第33主日 ルカ 21:5-19

3·11の副産物、と言ったらおかしいかもしれませんが・・・

それは、宗教の時間に、終末を扱うことが難しくなくなったことです。

当時の福島の中高生は、おそらく生まれて初めて「死ぬかもしれない」「この世が終わるかもしれない」と意識したことでしょう。

私自身もそうでした。

校舎の三階にいる生徒たちを避難させるために階段を駆け上った時、左右の壁が揺れながら私のほうに倒れかかってくるようで、「ここで死ぬのかもしれない」、一瞬そんな思いが頭をよぎりました。(実際は、建物自体にそんなに被害はなかったのですが。)

その1年後だったと思います。

だいたい終末を扱うのは、学年末ですので。

生徒たちは、聖書の中の描写と1年前の自分の体験を突き合わせて、本当に熱心に聞いてくれました。それまでの教師経験の中で、こんなに福音書の中でイエス様が語る終末に生徒たちが熱心だったことは初めてでした。2年前に始めた聖書100週間が、今パウロ書簡まで来ています。終末が近いと信じているパウロの切なる思いに接すると、あの時の生徒たちを思い出します。そして今も、「もしかしたら終末に一歩一歩近づいているのではないか」、と思わされるような出来事が次々と起こっていますね。「核戦争の脅威なんてキューバ危機で終わった」と思い込んでいたら、このところ再びむくむくと現実感が増してきています。しかも、地球上の複数の箇所で。

今本当に終末が起きるとしたら、私はどんなふうに神様の前に出るのだろうか、イエス様はその時、どのようなまなざしで私をご覧になられるのだろうか。

今回の福音箇所で改めて思わされました。

「中には殺される者もいる」という言葉に続けて、イエス様はおっしゃいます。

「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい」。

この世の命が少数の人の無謀な決断によって危険にさらされないように、そして、この世の命を超えたところで、神様とともに永遠の命を享受できるように、「今この時」を忍耐をもってしっかり生きていける恵みを祈ります。

3·11の直後に、私は、福島市内の修道院から学校まで、20分近く一人の生徒と歩きました。やっと迎えに来られたお父さんが、修道院の場所がわからず、学校に到着してしまったとの連絡があったからです。すでに福島原発の建屋が爆発して、放射性物質が大気中を舞っている頃でした。そのことを思い出すと、彼女は元気かしら?と今も気にかかります。二度とあっては欲しくないことでした。※画像は、秋の色、色々。

≪聖書箇所≫ ルカ 21:5-19

(そのとき、)ある人たちが、神殿が見事な石と奉納物で飾られていることを話していると、イエスは言われた。「あなたがたはこれらの物に見とれているが、一つの石も崩されずに他の石の上に残ることのない日が来る。」
そこで、彼らはイエスに尋ねた。「先生、では、そのことはいつ起こるのですか。また、そのことが起こるときには、どんな徴があるのですか。」イエスは言われた。「惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがそれだ』とか、『時が近づいた』とか言うが、ついて行ってはならない。戦争とか暴動のことを聞いても、おびえてはならない。こういうことがまず起こるに決まっているが、世の終わりはすぐには来ないからである。」そして更に、言われた。「民は民に、国は国に敵対して立ち上がる。そして、大きな地震があり、方々に飢饉や疫病が起こり、恐ろしい現象や著しい徴が天に現れる。しかし、これらのことがすべて起こる前に、人々はあなたがたに手を下して迫害し、会堂や牢に引き渡し、わたしの名のために王や総督の前に引っ張って行く。それはあなたがたにとって証しをする機会となる。だから、前もって弁明の準備をするまいと、心に決めなさい。どんな反対者でも、対抗も反論もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに授けるからである。あなたがたは親、兄弟、親族、友人にまで裏切られる。中には殺される者もいる。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての人に憎まれる。しかし、あなたがたの髪の毛の一本も決してなくならない。忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」