1/1 若い人のための日曜日の聖書 神の母聖マリアの祭日 ルカ 2:16-21

お供えの上ではうさぎが聖母子に手を合わせています。そして、天使の代わりにダルマが・・・

みな様、神の母の祭日、そして新年あけましておめでとうございます。
今年はこの日が主日にぶつかり、おめでたさが2倍です!

その昔、教会の青年会でお世話になった神父様は、「2年越しのミサ」と言うのがお好きで、神の母の祭日のごミサを12月31日の11時半ごろから始め、腕時計を見ながらお説教のところで時間を調節して、ご聖体の奉挙がちょうど12時ぴったりになるようにしていらっしゃいました。
古くて、薄暗い木造の御聖堂で捧げられたこのミサは懐かしいです。この日に、ご降誕のセット(プレセピオ)のマリア像が、飼葉桶のイエス様を見守るものから、膝におん子を抱き上げているものに変えられる習慣も。

さて、今日の福音箇所に、イエス様がお生まれになってから八日間たったと記されています。この八日間を、マリア様はきっと、片時もイエス様から目を離さず、あれこれとお世話をして過ごされたことでしょう。それは、マリア様にとって常に楽しいことだったのでしょうか。

最近『母親になって後悔している』という衝撃的なタイトルの本が翻訳出版され、注目を集めています。著者の社会学者オルナ・ドーナトさんは、ユダヤ系イスラエル人とのことですから、マリア様と同じ。社会が「母親」という役割に意識的・無意識的に押し付けている様々な事柄に押しつぶされそうになっている女性、疑問を抱いている女性たちへのインタビューを集め、現代に至るまで社会がずっと「それは当然」と考えていたことに切り込んでいます。

修道女になると同時に、「産まない」選択をした私たちシスターには、この書について何もいう資格がないと考えています。それでも、若いマリア様にとって、「母親になる」とはどういうことだったのだろうか、と思いめぐらし、同時に、「神の母であるマリア様、このような女性たちと、彼女たちを受け入れられない社会とのために、神様に取り次いでください」とお願いせずにいられません。

そしてイエス様、どうか私たちが特定の人に何かを押し付けることない社会を築いていくことができるよう、光と恵みをお与えください。

 

≪聖書箇所≫ ルカ2:16-21

(そのとき、羊飼いたちは)急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、(彼らは、)この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。聞いた者は皆、羊飼いたちの話を不思議に思った。しかし、マリアはこれらの出来事をすべて心に納めて、思い巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことがすべて天使の話したとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。
八日たって割礼の日を迎えたとき、幼子はイエスと名付けられた。これは、胎内に宿る前に天使から示された名である。