今日はご公現の主日。
いよいよ、降誕節も終わりです。そろそろ、クリスマスツリーや聖家族のご像を片付けなくては、と思っています。
ふと、クリスマスツリーのオーナメントにしているくるみの実に目がとまりました。
2018年9月の台風の明け方に、建築中だった本館のすぐ脇の庭に根を下ろしていたくるみの大木が倒れました。激しい台風でしたが、まさかこの大木が根を天にむけるようにして「降参!」と言わんばかりに倒れるとは、夢にも思っていませんでした。
しかも、すでに付いていたすべての実をふるい落とすようにして、建物と建物の間の通路にうまく収まる形で倒れました。
拾った実を割ってみると、すでに中は食べられる状態でした。
とてもたくさんあったので、支部修道院に送ったり、あちこちに差し上げた後、私はクリスマスのオーナメントをつくりました。それ以来、毎年クリスマスシーズンに壁の装飾にしたりツリーに飾ったり。実はこのくるみの木、新しい本館の建築のために近々どうしても切り倒さなくてはならない、と決まっていました。
もしかしたら、「切り倒さなくてはならない」という私たちの話を木が聞きつけて自ら倒れてくれたのかもしれない、と思いました。
最近『樹木たちの知られざる生活―森林管理者が聴いた森の声』という本を読みました(ハヤカワノンフィクション文庫)。著者のピーター・ヴォールレーベンさんが長年ドイツの森林を管理しながら観察したことと最新の科学を組み合わせたこの本を読んで、私は「かもしれない」という思いが確信に変わりました。
森の木々は動かない(と私たちは思っている)が、活発に同種の木とコミュニケーションし、弱い個体にも栄養が行きわたるようにして共存共栄を目指しているのだそうです。そうであれば、長年、旧修道院本館の食堂近くのテラスで私たちのために木陰を作り、クリスマスケーキをはじめとする様々なお菓子やお料理のために実を捧げてくれたくるみの木が、最後のご奉仕を私たちのためにしてくれた、実だけでなく身を捧げてくれた、イエス様の生き方を示してくれた、と考えるのは身勝手でしょうか。
今日か明日、クリスマスツリーを片付けますが、くるみの木に、またこれを創造してくださった神様に感謝をしながら作業したいと思います。
イエス様、この感謝を、3人の学者さんにならって、あなたへのプレゼントにしますね。
なお、くるみの倒木の始末をしてくださった方々は、この木からできた丸太を使って、建築の終わり頃、庭や畑の土留めを作ってくださいました。くるみはここにも生きています。
≪聖書箇所≫ マタイ2:1-12
イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。
お前から指導者が現れ、わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。