1/29 若い人のための日曜日の聖書 年間第4主日 マタイ 5:1-12a

「人は生まれる場所を選べない。努力ではどうにもならないことがある」。

あれっ、この言葉、最近どこかで読んだ気がする・・・どこだったかしら・・・

かつての教え子が描いたコミック『篭目の言士』(原作・日野草、漫画・如月にまる、講談社、2022年12月)の冒頭の言葉に、しばし頁を繰る手が止まりました。

「人はどこに生まれてくるかを選べない。・・・私たちは、みな裸のままで生まれてくる。それをこちら側とあちら側で区別するものは、人間が頭の中で作った境界(ボーダー)にすぎない」。

「肌の色や、背の高さや低さ、どこの国で生まれたか、どこの地域で生まれたか。そういう、自分の力ではどうにもならないことでからかったらり、意地悪をしてはいけないよ。なぜかって?そういう風に生まれたのはその人のせいじゃない。なのに、それでいじめるのは卑怯だろう?」

これでした!

わずか数日前に読んだ、ノンフィクション作家の佐々涼子さんの最新作『ボーダー、移民と難民』(集英社、2022年11月)の一節です。

二つ目の引用は、彼女が作家になる前に日本語教師をしていたこと、そして移民と難民、入管、差別、偏見を扱うこの作品を手掛けたことの出発点として紹介されていた、幼き日の作者へのお父様の言葉。

私は結構「共時性」を感じ取る方で、この2つの節がしばらく私の内奥を駆け巡り、私に何かを伝えようとしていると強く感じました。

「心の貧しい人々」とは、あるいは社会の中で押しつぶされ、あるいは余儀なく押しつぶす方に回され、鋭い痛みを感じながら救いを待ち望む人々のこと。そのような私たちに、イエス様は確実な約束をしてくださっている、マタイ5章の有名な箇所が、私の中でそのように感じられました。

『ボーダー、移民と難民』の中に出てくるたくさんの苦しんでいる人々、助けようとして同じく苦しむ人々が山上のイエス様を取り囲んでいる風景が目に浮かびました。その中に私もいました。

どうか神様、私がこの方々を忘れないように、また「卑怯者」にならないように助けてください。

『ボーダー、移民と難民』の中には、鎌倉のアルペなんみんセンター(以前のイエズス会黙想の家)のこと、そこで働いている私たちの修道会のシスターのことも出てきます。もしこのささやかな聖書エッセイから興味をもってお読みいただけたら幸いです。コミック『篭目の言士』は、特別に幻想的な世界にご興味がおありだったらどうぞ。私の読書の守備範囲には入っていませんが、「如月にまる」の耽美的な絵には惹かれました。(親バカならぬ、教師バカかも!)

 

≪聖書箇所≫ マタイ 5:1-12a

(そのとき、) イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。
「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。
憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。
心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」