つい先日、あるテストが百点満点で返ってきました!
考えてみれば大人になってから百点満点などと言う点数をつけられたことは久しくなかったです。
子どものように嬉しくなって、躍り上がりたいくらいの気分でした。
それで思い出したのですが、ある神父様が、お若い時にこんなことをおっしゃっていました。
「三位一体論の試験は、何を言っても何を書いても、『それは異端です』と言われるか、減点されるか」。
なるほど、難しい教義なのだなぁと思わされました。
それ以来、私は三位一体について考えることをやめました。
確かにそれは、考えるべきことではなくて、信じるべきこと、信じて賛美すべきことなのでしょう。
今日、土曜日の午後、台風一過の晴れ上がった空を見つめながら、やはり、難しいことは神学者にお任せして、復活のイエス様が昇天され、そして聖霊を降らせてくださって、私たちをずっと見守ってくださる、私たちとずっと一緒にいてくださる、それが「世を愛された」こと。
明日は、そのことを喜ぶ日にしようと決めました。
聖堂に飾られていた三色(!)のあじさい。私たちの修道院のお花係のシスターは、すべてお庭の花でいつも美しく聖堂を飾ってくれます。
≪聖書箇所≫ ヨハネ 3:16-18
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。御子を信じる者は裁かれない。信じない者は既に裁かれている。神の独り子の名を信じていないからである。