7/30 若い人のための日曜日の聖書 年間第17主日 マタイ 13:44-52 

百日紅の季節です。薄いピンクの百日紅のはるか向こうに、濃い紅色の百日紅があるのですが、見えますか?

先週に続いて、天の国がどのようなところか、イエス様が説明してくださいます。
「天の国は次のようにたとえらられる」。
あれっ? でも結局のところ選ぶのは「私」です。

私は最近、あることに関して選択を迫られ、識別して優先順位を決めました。

「何が宝か」

「何が真珠か」

優先順位に従って捨てたものが正しかったのかどうか、よく分かりません。
でも、残したものは正しかったろうと思いますし、さらに正しいものにしていただけるよう、神様に祈っています。

ところで、あの畑に価値あるものが埋まっている、と自分だけが知っていて、こっそりその土地を買ってしまう—これはイエス様の時代には罪にならなかったのでしょうか?
逆のケース、購入した土地に邪魔なものが埋まっている(現代だったら、古い井戸や浄化槽、地下室、産業廃棄物など)場合は、売主は契約不適合責任を追及されて、契約解除を求められたりする可能性すらあるそうです。

埋まっているものを見る目も必要ですね。

 

≪聖書箇所≫ マタイ 13: 44-52

(そのとき、イエスは人々に言われた。)「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。
また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」
《「また、天の国は次のようにたとえられる。網が湖に投げ降ろされ、いろいろな魚を集める。網がいっぱいになると、人々は岸に引き上げ、座って、良いものは器に入れ、悪いものは投げ捨てる。世の終わりにもそうなる。天使たちが来て、正しい人々の中にいる悪い者どもをより分け、燃え盛る炉の中に投げ込むのである。悪い者どもは、そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。」「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」弟子たちは、「分かりました」と言った。そこで、イエスは言われた。「だから、天の国のことを学んだ学者は皆、自分の倉から新しいものと古いものを取り出す一家の主人に似ている。」》