2/18 若い人のための日曜日の聖書 四旬節第1主日 マルコ 1:12-15

今朝の空。不思議な色でした。

四旬節の始まり、灰の水曜日に、私にはジンクスがあって、必ず思いもよらない「起こってほしくないこと」が起こります。若い時だったら、母に叱られるとか、友だちと言い合いになるとか・・・。もちろん、翌年の灰の水曜日には1年前に何が起ったかはすっかり忘れているのですから、それほど重大なことではないのです。ともかく、「起こってほしくないことが起こって、私は何といやな人間だろうという思いに陥る」その後味の悪さだけが残っています。それで、「今年こそ、聖なる灰の水曜日が過ごせますように」という愚かしい祈り、というか願いを持つのですが、かなえられた試しがありません。

きっと、後味の悪さではなく、「いやな私」そのものを見つめなくてはならないのでしょう。それが足りないから、毎年、神様がプレゼントのように私に何かを起こしてくださるのかもしれません。

40日の間、イエス様は荒れ野でどう祈られ、何と戦ったのでしょうか。マルコは、詳しいことを何も書いていません。ただ、40日間そこにとどまった、とだけです。

イエス様、どうか私に荒れ野にとどまることを教えてください。そして40日の間、ナザレのお家で祈っていらしたマリア様、どうか私が私にとどまれるよう、取り次ぎの祈りをしてください。

 

 

≪聖書箇所≫ マルコ 1:12-15

(そのとき、)“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。