以前、この欄でご紹介したような気がしますが、私たちの修道会には、最近「変容委員会」という超管区の委員会ができました。会員数の減少と、目まぐるしい世の中の変化と言う二つの要素に対峙して、私たちがどのように変容していくことが神様の聖心にかなっているかを検討し、実際に組織を変更していく委員会です。
私が入会した頃、私たちの修道会の会員数は4000人を超えていました。今は600人を切っています。
でも、たとえ小さくても、よりよく神様に応えていきたいと言う気持ちは皆変わりません。
ただし、具体的にどこをどう変容させていくのかと言うことになると、ほんの少しの変化でもなかなか受け止められなかったり、反対派がいたりと難しいです。
イエス様もきっと、内的変容を理解できない弟子たちのために、ご自分の栄光の姿を前もって見せてくださったのではないでしょうか。
イエス様の死と復活こそ、この世を変容させる最大の契機でしたから。
明日の四旬節第2主日は、イエス様の変容された美しい姿に目と心を留め、「これはわたしの愛する子。これに聞け」という神様のみことばをしっかりと受け止ながら過ごしたいと思っています。
≪聖書箇所≫ マルコ 9:2-10
(そのとき、)六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロは、どう言えばよいのか、分からなかった。弟子たちは非常に恐れていたのである。すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた。
一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまでは、今見たことをだれにも話してはいけない」と弟子たちに命じられた。彼らはこの言葉を心に留めて、死者の中から復活するとはどういうことかと論じ合った。