この本を読んで驚いた。「ウソ エ? ホント・・」そんな気持ちだった。表題は「最悪の将軍」だけど、最後まで読むと、「(最)善の将軍」と言えそうに思えた。
どうしてこんなに違うのだろう。 確かに私は従来の綱吉像の目で見ている。将軍家とは関係のない学問好きな母親孝行の優等生タイプの好青年だったろう…それが思いがけず、第五代将軍となって、江戸の町を眺めた時、かれはどんな政策をとったのか?
「武」から文治政策へと移行する中で、「生類憐みの令」を取ったことは悪いことではなろう。忠と孝を重んじ、互いに慈しみ助け合うなどの純粋な願いから出た政策だと思う。しかし人口に膾炙するのは、生母桂昌院の仏教信心とその取り巻きの僧隆光の関わりから出てくる「犬公方」の名である。
犬に関わり、武士ならば切腹、町民なら流罪、猟師なら死罪・・・
よかれと思った「生類憐みの令」が「人よりも犬猫が大事か」という巷の声となって綱吉の耳にも聞こえたであろう。それでも綱吉は死の床で次期将軍となる家宣を呼んで、「この生類憐みの令は必ず守るように・・・」と遺言して死んだと聞く。そして本書では綱吉の末期の言葉として「我に、邪(よこしま)無し」と書く。
「生類を憐れむべし」その中になぜ人間が入らないのか、この「令」の処罰で人間がどれだけ悲惨な目にあったか、人々の嘆きの声がはいらなかったはずはなかろう、それでも彼はこの意志を貫こうとする・・・
神は自らに似せて人間をつくられた。「生類」の中に人間も含まれているのだ、犬も猫も好きな私にはその気持ちはわかる。だからと言って犬のために人間が不幸になってよいのか・・・・という考えにふと立ち止まった。これって、私の西洋(キリスト教)の見方なのね。
熱心な仏教徒だった亡き母ならどんな見方をするだろう?母はよく「朝の虫は殺したらあかんえ、仏さんの(お使い?)・・や」といっていた。お寺の法話に出ることをよろこび、おかげで、私は小学校低学年までお寺の日曜学校に通っていた。京に生まれ育だった桂昌院と同じ京の町で生きた母にはまた違った見方があるのかも知れない。
ご意見のちがいはちがいセンダンの花たかだかと梅雨空に咲く
(私の誕生日の花 「ラジオ深夜便 誕生日の花と短歌365日」)(Sr.辻上好子)
朝井まかて著 『最悪の将軍』 集英社 (2016/9/26)