19世紀末、オスマントルコ末期のイスタンブールの下宿に集った、日本人の村田、ドイツ人のオットー、ギリシャ人のディミトリス。
いずれも若き考古学研究者。
下宿屋を営むのは英国女性ディクソン夫人、使用人は典型的なトルコ人のムハンマド。
国籍は五つ。母語も五つ。
宗教で分類するならばキリスト教徒が三人(と言っても、ギリシャ正教、英国国教、プロテスタント)、仏教徒とイスラム教徒。
この五人に、絶妙なタイミングで数語を話す一匹のオウムが加わって繰り広げられる「青春もの」とも言えるし、異文化・多文化などという言葉がなかった時代の文化論とも言える。
一神教と多神教のせめぎあい、とも言える。
二つの引用句が心に残りました。
一つは、ディミトリスがテレンティウスから引用する「私は人間だ。およそ人間に関わることで私に無縁な事は一つもないHomo sum, humani nihil a me alienum puto」。
この言葉は、この小説の主題といってもいいでしょう。
すべての人間が宗教や文化の違いを超えてこのように自覚できたら、だれも革命や戦争で血を流すことはない、との作者の思いがこもっているようです。(オットー、ディミトリス、ムハンマドはやがて殺されてしまうので。)
もう一つはオウムの言う「ディスケ・ガウデーレ楽しむことを学べDisce gaudere」。
セネカの言葉ですが、これをオウムが口にすることで、その場が変容します。
これも、作者の特別な思い入れのある言葉と感じました。
ボスポラス海峡に立って、西方と東方を眺めてみたい、という昔からの私の夢が、この小説を読むことで叶ったような気がしました。
そうそう、今でいうボコ・ハラムにささやかな抵抗をするためにトルコに踏みとどまっているディクソン夫人は、『西の魔女が死んだ』のおばあちゃんに似ていました。
異文化・多文化に興味のある方にお勧めです。
(Sr.斉藤雅代)
梨木香歩著 『村田エフェンディ滞土録』 角川文庫(2007/05)