本と猫の好きな私には格好の小説だった。
祖父を亡くしたネクラで引きこもりの高校生が出てくる。両親が離婚。小学校に上がる頃祖父の家に引き取られた。そこは夏木書店という町の片隅にある小さな店。
このおじいちゃんが死んで、夏木書店は閉店に追い込まれる。
「日が暮れて夜の闇に沈む」頃、チャトラの登場だ。「トラネコのトラである」と(一昔前なら、「吾輩はトラネコのトラである」と言っただろう…)。威厳のあるトラは言う。「本を助けるためにお前の力を借りたい」と。
いよいよここから、本を守るために、「閉じ込める者」「切きざむ者」「売りさばく者」らに向かっての活躍が始まる。
(本を)切りきざむ者からの解放。世の中の無数の本を読むために、速く読むための研究、 読書の効率化のために、あらすじや要約だけを手にするために、余分なところは鋏で切りきざむ者がいる。そういえば私も昔、ダイジェスト版である長編小説を読んだっけ。その後に全5巻だったかを読んで驚いた。これは、(まるでとは言わないが)違う小説ではないか?と。ダイジェスト版だけで、「その本を読んだ」なんで、とんでもないのではないか? やはり、時間をかけて全巻を読み通すことが「本」を読むということではないか…。
最近、加齢に伴い氣が短くなったのだろうか。ともすればいそぎ足で、次の頁へととばして読みたくなる。急いで読むものだから、途中で話がつながらなくなり、「エッ、そんなことがどこに書いてあった?」とあわてて読み直す昨今である。
「本」は何のために読むのか? この本の終わりに少年はいう。「本には沢山の人の思いが描かれています。悲しんでいる人、喜んでいる人、笑っている人、・・・そういう人達の心を知ることができるんです。・・・」「人を思う心、それを教えてくれる力が本の力だと思うんです。その力が沢山の人を勇気づけて支えてくれるんです」。
こういう引きこもり高校生に対して、チャトラは言う。
「しっかりやりたまえ 二代目」
もし、私にチャトラの声が聞こえるとしたら・・・「ご老体よ、落ち着いてゆっくり本を読まれよ。『本の力』によって、人生の終わりに美しい花を添えられるように・・・」と言われるような気がしてならない。 (Sr.辻上好子)
夏川大介著、『本を守ろうとする猫の話』 小学館 (2017/1/31)