何かに関わることから、今まで興味も関心もなかった分野に急に目がいくようになる…。昨年7月から、調布修道院の耐震建築に関わっていて、実感していることです。
この頃の私は、街で重機が働いていたり道を運ばれていくのを見ると、「何をしているのかな」「どこで何をする重機かしら」と気になってたまりません。そして思わず、「事故がないように」と祈りたくなります。私たちは、夏以来ずっと敷地内で働いてくれていた重機を「怪獣さん」「恐竜さん」と呼んで、親しんでいたからです。
昨年の11月の朝日新聞の「折々のことば」で紹介されていた写真集『MAINTENANCE』を図書館で借りました。都営交通の整備のバックヤードをイギリスの写真家マーク・パワーが撮ったもの。
「一つひとつが丁寧に扱われ整っている。京都の神社仏閣よりも、里山の古民家よりも。日本人の『用の美』がそこにはあると思えた。この現場は私たちに教えてくれる。美しいものが美しいのではなく、美しく使われているものが美しいのだと」。(写真集のあとがきより)
私は、「美」にも「用の美」にも関心が高い方だと思って生きてきたけれど、あらためてその定義を教えられたような気がしました。気が付くと、わが修道院の工事現場も、整然としていてなかなか美しいです。
私も見習って、修道院の中の共用の鍵かけをきれいにしてみました。 (Sr.斉藤雅代)