記憶って、不思議なものです。昨晩の夕食に何を食べたかは思い出せないのに、何十年も前のデート(修道院に入る前ですよ)の折にどこで何を食べたか、味や香り、そのレストランの雰囲気まで鮮やかに思い出せたりする。
ある卒業生に言われたことがあります。「先生は、入学式の翌日に具合の悪くなった私を介抱してくれたから、それからずっとどんなに厳しくても『お母さん』なんです」。
当の私はそんなこと思い出したこともなくて、言われてはじめてトイレまで彼女の様子を見に行ったことをぼんやりと思い出しました。在学中の彼女には期待をかけた分厳しく接しました。その期待に応えてくれた人でした。
またある人から言われたことがあります。「初めて会った時、あなたは水色で鳥の模様の入ったスカートをはいていた」。確かにそれは当時の私のお気に入りのスカートでした。初めて会った時のことも何を話したかもはっきり覚えているのに、自分も相手も何を着ていたかまではまったく私の記憶にはありませんでした。
さて、マタイの福音書のヴァージョンで有名な「山上の説教」が、ルカによると「平野・平地の説教」になっています。
イエス様が山の上で話されたのか、山の下で話されたのか、マタイの記憶とルカの記憶は違っています。あるいは単なる記憶違いでなく、マタイは「群衆から自分がよく見えよく聞こえるように山に登って話された」イエス様を、ルカは「山の上で父である神様に一夜祈ってから、人々のただ中に降りてきて話された」イエス様をハイライトしたかったのかもしれません。いずれにせよ、表現は少し異なるものの、二つの福音書が伝えたかった内容は同じであり、迫害下にあった1世紀末のキリスト者に向けられた励ましの言葉であると同時に、いつの世のキリスト者にとっても励ましです。もちろん、厳しい励ましです。
ルカのヴァージョンで心に留まるのは、「今」という言葉です。「今がどんなに苦しくても、私はあなたの苦しみを知っているよ」とイエス様に言われているような気がします。そしてこれに続いて「だから、辛くても一緒に愛を貫こうね」。
「苦いカカオに砂糖が入るからチョコレートはおいしい」。ちょうどバレンタインデーが終わったところですが、お世話になった方々や姉妹たちのためにチョコレートのお菓子を作りながらつくづくそう感じました。愛は確かに甘いのですが、甘いだけではないことはだれもが知っています。だから、イエス様の懐で甘さに酔わせていただいて、この世の苦さを受け入れていきましょう。愛の塊であられるマリア様、愛の厳しさを受け入れられない私のために祈ってくださね。 (Sr.斉藤雅代)
≪聖書箇所≫ ルカ 6:17, 20-38
(そのとき、イエスは十二人)と一緒に山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆が、ユダヤ全土とエルサレムから、また、ティルスやシドンの海岸地方から、(来ていた。)
さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。求める者には、だれにでも与えなさい。あなたの持ち物を奪う者から取り返そうとしてはならない。人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな恵みがあろうか。罪人でも、愛してくれる人を愛している。また、自分によくしてくれる人に善いことをしたところで、どんな恵みがあろうか。罪人でも同じことをしている。返してもらうことを当てにして貸したところで、どんな恵みがあろうか。罪人さえ、同じものを返してもらおうとして、罪人に貸すのである。しかし、あなたがたは敵を愛しなさい。人に善いことをし、何も当てにしないで貸しなさい。そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」
「人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと決められることがない。赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。与えなさい。そうすれば、あなたがたにも与えられる。押し入れ、揺すり入れ、あふれるほどに量りをよくして、ふところに入れてもらえる。あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」
※月曜日から8日間の黙想に入りますので、今回は2/17と2/24の福音箇所をまとめました。