10/20 若い人のための日曜日の聖書  年間第29主日 ルカ 18:1-8

「嬉しいおまけ」!

このブログ、「若い人のための日曜日の聖書」は、いつもまずFacebookにアップして、それからこちらに載せています。

そのFacebookの「友達」が、いつの間ににか三百人を越しました。こうなると、ほぼ毎日が「友達の誕生日」です。たまに「今日は○○さんのお誕生日です」というメッセージが来ない日があると、『不思議の国のアリス』ではないですが「お誕生日じゃない日おめでとう!」。ちょっとホッとして、それから「いけない、いけない。私がFacebookをしているのは、友達に神様の愛を伝えるためだったっけ。お誕生日は神様がその人をこよなく愛してこの世に生まれさせてくださった日なのだから、メッセージを投稿し続けなくちゃ」と思います。

Happy Birthdayのメッセージには、しばしば「いつも祈っています」と書き加えます。そして必ずその直後にその人のために特別に祈ります。神様の恵みを願う祈り、光を願う祈り、その人をまるごと神様にお委ねする祈りなど。残念ながら誕生日以外の日には、何か特別な祈りを頼まれていない限りは、「卒業生のために」とか「私の愛している人みんなのために」とか、一般的なお祈りしかできないことへのお詫びも込めて。

そして、この日課のようになっているHappy Birthdayメッセージそのものを、ごミサや朝晩の祈りや食前食後の祈りと同じように、これからも私の「絶えず祈る」習慣のひとつのやり方にしていこう、と今回の福音から思わされました。

しかも、このHappy Birthdayメッセージには、「気を落とす」どころか、たいていの「友達」からの返信という嬉しい「おまけ」まで付いてきます。神様に感謝!  (Sr.斉藤雅代)

 

 

≪聖書箇所≫ ルカ 18:1-8

(そのとき、)イエスは、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、弟子たちにたとえを話された。「ある町に、神を畏れず人を人とも思わない裁判官がいた。ところが、その町に一人のやもめがいて、裁判官のところに来ては、『相手を裁いて、わたしを守ってください』と言っていた。裁判官は、しばらくの間は取り合おうとしなかった。しかし、その後に考えた。『自分は神など畏れないし、人を人とも思わない。しかし、あのやもめは、うるさくてかなわないから、彼女のために裁判をしてやろう。さもないと、ひっきりなしにやって来て、わたしをさんざんな目に遭わすにちがいない。』」それから、主は言われた。「この不正な裁判官の言いぐさを聞きなさい。まして神は、昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために裁きを行わずに、彼らをいつまでもほうっておかれることがあろうか。言っておくが、神は速やかに裁いてくださる。しかし、人の子が来るとき、果たして地上に信仰を見いだすだろうか。」