「世の罪を取り除く神の小羊」。
ミサの言葉が新しくなってもうすぐ2か月。
今回の福音箇所を読んで、新しいミサ通常文(音楽の世界では、ミサ曲と言われる部分)の「平和の賛歌Agnus Dei」は、まさにこの言葉のままだ、と気づきました。
今までの「平和の賛歌」だって同じ内容だったのですが、あらためて、洗礼者ヨハネの言葉であったこと、しかも福音史家ヨハネは、これを福音書の最初の方に配置していることに心がとまりました。
二人のヨハネにとって、イエス様は最初から「小羊」つまり「私たちのために犠牲になってくださる方」だった。それこそが二人にとって「神の子」の証しだった。
ご降誕を描いた美しい世界から、いきなり現実の世界に引っ張り出されたような気がしました。しばらくは、この世を生きるイエス様と共に歩いていく季節です。
イエス様、どうか私にも、あなたが「私を救ってくださる方」であり、あなた以外にそうできる方はいないのだ、ということをもっと深く感じさせてください。
≪聖書箇所≫ ヨハネ 1:29-34
(そのとき、)ヨハネは、自分の方へイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。『わたしの後から一人の人が来られる。その方はわたしにまさる。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。わたしはこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現れるために、わたしは、水で洗礼を授けに来た。」そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」