昨秋、たまたま別の映画を観た時に、映画『オケ老人!』の予告編を見ました。
「面白そう」とは思ったけれど、わざわざ映画館に足を運ぶまでの吸引力は感じませんでした。
その後、原作の小説を知り、読んでみました。
学生時代にオケをやっていた若い数学の先生が、赴任先の町のアマオーケストラの演奏に感動して、早速電話で入団を申し込みます。
ところが彼が入ったオケは、感動的なコンサートを開いたオケのメンバーから見捨てられた高齢者ばかりの集団でした。
認知症で何度繰り返したか分からなくなるヴァイオリニスト、耳の遠いティンパニ、酸素ボンベをカラカラ引いて来るトロンボーン。
音程もリズムもめちゃくちゃ…どころか、簡単な曲でさえ、最後まで合奏を通すことができません。
先生は最初、なんとかしてここから退団して、憧れのオケに入ろうとするのですが…
これを主旋律として、ここに先生の恋、高校生カップルの恋、さらにはなんと国家機密までが「対旋律」としてからんできます。
笑いあり、涙あり。
そして、いろいろなことを考えさせられました。
その昔、私が修道生活に入ったころ、私たちシスターの歌う聖歌や詩編唱和はとてもとてもきれいでした。
よく聖歌の練習をしましたし、ギターやマンドリンの合奏もしていました。
当時、シスターたちの平均年齢は60歳代でした。
今の平均年齢はこれにプラス20。
私自身も、発声練習をしなければまったく声が出なくなりました。
聖歌や詩編唱和は神様にお捧げするものであって、極論を言えば「うまい演奏」をする必要はありません。
それでも、フラットな音程や0.1秒ほどの遅れは神経にさわります。
日々ミサのオルガン伴奏をしたり、歌ったりしながら、がっかりすることがあります。
しかし、この本を読んで「もっと、神様を音楽で賛美することを楽しもう」「できないことでなく、できることに目を向けよう」と思うようになりました。
そして、五年ほど中断していたフルートを再開しました。
フルートの命であるふっくらした美しい音色とはほど遠いですが、続けていきたいと思っています。
本に戻りますが、装丁も素晴らしかったです。
全頁の下方にイラストが入っていて、とてもこっています。
社会全体にのしかかっている高齢問題を、この小説をヒントにして捉えなおしてみるのもいいかもしれません。
最後にもっとも感動した一説を引用します。
「その(老人たちのオケの音楽)魅力を理解するのはそう簡単ではない。聴く側にもテクニックが必要なのだ。そのための訓練も積まなくてはならない。だが耳を持った人は、そこに演奏する者の喜びや悲しみ、哲学やものの考え方、その人が生きてきた歴史を聞き取るだろう。つまるところ、人生そのものが音楽の中に響きあっている」。(Sr.斉藤雅代)
荒木源著 『オケ老人!』小学館 (2008/10/1)