イエスはガリラヤに行くにあたり、サマリアを通られた。エルサレムから6キロほど離れたサマリアは、かつてアッシリアに支配された土地だった。神の民として選ばれたその血統を守れなかったために、ユダヤ人から軽蔑されていた。
5~6時間かけて歩いてきたイエスは、井戸のところで休んでいた。そこに、一人の女が現れた。暑い正午頃に水を汲みに来るわけありの女。イエスの方から「水を飲ませてください」と声をかける謙遜さ。女は非常に驚いた。イエスは「もしあなたが、神の恵みを知っており、また、『水を飲ませてください』と言ったのがだれであるか知っていたならば、あなたの方からその人に頼み、その人はあなたに生きた水を与えたことであろう」と言葉を返す。「生きた水」を理解できない女は、混乱した。しかし、イエスが語る水は、渇くことがない「永遠の命に至る水」である。イエスは女に一番大切なものに気づかせ、むしろ自分からそれを願うようにさせてくださる。「その水を下さい」と。
ここから突然、イエスは女の触れられたくない個人的な部分に分け入っていく。「行って、あなたの夫をここに呼んで来なさい」と。隠すことができない、ありのままの自分の姿を前にして、女はイエスに「主よ」と呼びかける。そして、ついに女は目の前にいる人が、「キリストと呼ばれるメシア」ではないかと気づく。イエスも、ご自分の真実の姿を現された。「それは、あなたと話をしているこのわたしである」と。
自分の真実の姿を認めることによって、女はキリストと真正面から出会うことができた。女は、大切な水がめをその場に置きざりにして、町へ走って行き、人々にイエスを伝えた。こうして、人々もイエスのところにやって来た。
イエスと女のやり取りは、初めはちぐはぐだった。しかし、イエスは時間をかけ、心をかけ、言葉をかけ、女はイエスのために生きる福音宣教者へと変えられていった。女は「イエスの傑作」である。
(10/22 仙水町修道院の祈りの集いの講話より Sr.兼松益子)