6/16 若い人のための日曜日の聖書  三位一体の主日 ヨハネ 16:12-15

4日まで私たちの修道会の会議が行われていた、ホンデュラスの首都テグシガルパ郊外にある、カルメル会黙想の家の聖堂のステンドグラス。三位一体と地球です。

「私のスマホ知らない?」-「まずあなたの寝室を探したら?」

修道院の中で年中聞かれる対話です。

私たちの修道会の終生誓願式の式文の中には、管区長の受け入れの言葉として「これからは、私たちとすべてのものを分かち合うことになります」という文言があります。確かに、私たち修道者の立てる三つの誓願(神様との約束)の一つである清貧は、そもそも個人の所有権の放棄ですので、給与などすべての収入も、健康保険料などすべての支払うべき支出も、私たちはシェアしています。「私のスマホ」も「あなたの寝室」も、シェアしているもののひとつです。

私たちの会の話ではないのですが、清貧を常に意識できるように「私の」とか「あなたの」いう所有形容詞の単数形の使用を禁じ、その代わりにいつも「私たちの」と言わなければならないところがあると聞いたことがあります。これって、日常生活の中ではややっこしいことがおこりそうです。たとえば、最初に掲げた対話は次のように変換して言わなくてはなりません。

「私がよく使っている私たちのスマホ知らない?」-「まずはあなたがよく寝ている私たちの寝室のひとてを探したら?」

なんか、笑っちゃいますよね。

「あなたのものは私のもの、私のものは私のもの」―そんな欲張りな言葉を昔どこかで聞いた気がするのですが、今回の聖書箇所のもじりだったのかもしれませんね。「父が持っておられるものはすべて、わたしのもの」、そう言い切るイエス様と父である神様の間は、何と強い絆で結びついていることでしょう。三位一体という難しい教義を、私はとても扱うことができませんが、一年に一度この三位一体の主日が巡ってくるたびに、父である神様と子であるイエス様の強い結びつきが聖霊を生み出し、その中に私もすっぽり包まれていることを感謝せざるをえません。そして世界全体が、このような絆で結ばれるよう祈らざるをえません。同じ地球という場で、同じ歴史の瞬間を生きているのですから。 (Sr.斉藤雅代)

 

≪聖書箇所≫ ヨハネ 16:12-15
(そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。父が持っておられるものはすべて、わたしのものである。だから、わたしは、『その方がわたしのものを受けて、あなたがたに告げる』と言ったのである。」