「お子さんは何人?」
突然こう尋ねられて絶句しました。
だってこの質問をされた方は、もちろん信者ではありませんが、私が修道院にいるシスターと知っている方でしたから。
よく訊いて合点がいきました。その人は、修道院に入る女性はみな、ご主人に死なれたとか、逃げられたとか、逃げたとか、ともかく結婚歴のある人、と思っていたのですって。
「いえいえ、私、イエス様と初婚です」と答えながら、笑ってしまいました。
もちろん、結婚歴があったり、子どもがいたりしたら修道院に入れないわけではありません。たとえば、ウルスラ会の聖マリー・ド・レンカルナシオン。私たちの修道会の創立者マルグリット・ブールジョワより少し前にカナダに移住したこのシスターは、夫を失った後に成人した子どもたちをおいて修道生活に入ったのでした。また、ポルトガルの王妃であった聖エリザベトも、寡婦になってからクララ会に入っています。
しかし、圧倒的に多くのシスターは「イエス様と初婚」です。入会に至るストーリーはそれぞれでしょうが、みな、イエス様に呼ばれて、イエス様にだけ惹かれて、イエス様に付いていきたい、という思いで修道生活に入っていると思います。
「私に付いておいで」という呼びかけはまた、ある人にとっては一人の異性(一応、異性としておきますね)との結婚生活に導かれる呼びかけでしょうし、ある人にとっては独身生活を貫く呼びかけでしょう。修道生活は、もっともはっきりとした形でイエス様についていくことになる生活と言えるでしょうが、別の生活形態が、イエス様に呼ばれていない生活というわけではありません。そしてだれよりもイエス様が、その人がどのような生活においてもっともイエス様に従っていけるかご存知なのです。
今回の福音箇所で、「二人はすぐに網を捨てて従った」「この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った」という節が好きです。すぐに従った、いえ、従わざるをえなかった気持ちがよく分かるからです。
もちろん、修道生活が長くなると、捨てたはずのものをすっかり取り戻している自分に気付いて、ぎょっとすることがあります。回心や軌道修正は常に必要。でも、イエス様はどんな私であっても、辛抱強く呼びかけ続けてくださいます。感謝の気持ちをもって、応え続けていきたいです。
ちなみに、「なぜ、洗礼を受けたのですか?」と、尋ねられたことがありません。実のところよく覚えていない部分があるのですが、聖歌やオルガンの響き、以前は女性信徒がみなかぶっていた白いレースのヴェール、ひざまずいてロザリオを繰る姿などにあこがれたからかもしれません。また、私のことですから、もし昔のようにどの修道会も修道服だったら、きっと、女子中学生が「どの高校の制服がいいかしら」と思うのと同じように、修道服で会を選んでいたかもしれません! ご安心ください。たとえそうであっても、イエス様は、私たちのつまらない所から発した望みを清めて、聖なる望みにしてくださる方です。
(Sr.斉藤雅代)
≪聖書箇所≫ マタイ4:12-23
イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。そして、ナザレを離れ、ゼブルンとナフタリの地方にある湖畔の町カファルナウムに来て住まわれた。それは、預言者イザヤを通して言われていたことが実現するためであった。「ゼブルンの地とナフタリの地、湖沿いの道、ヨルダン川のかなたの地、異邦人のガリラヤ、暗闇に住む民は大きな光を見、死の陰の地に住む者に光が射し込んだ。」そのときから、イエスは、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言って、宣べ伝え始められた。
イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、二人の兄弟、ペトロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレが、湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。そこから進んで、別の二人の兄弟、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、父親のゼベダイと一緒に、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、彼らをお呼びになった。この二人もすぐに、舟と父親とを残してイエスに従った。イエスはガリラヤ中を回って、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、また、民衆のありとあらゆる病気や患いをいやされた。