5/24 若い人のための日曜日の聖書 主の昇天の主日 マタイ 28:16-20

クローズアップ現代の奇牡丹さん

「まず私たちは以前の生活に戻れるという考え方は捨てるべきです」。

私の耳に今なお残っている、一昨夜のTVでのドキッとさせられた発言。

(キ・モラン奇牡丹、大韓医学予防医学会新型コロナウイルス対策委員会、委員長。2020年5月21日、NHKクローズアップ現代のインタビューに応えて)

3.11の時ですら、このように言い放った人はいませんでした。

あの頃よくきかれた「復旧・復興」とは、文字通り、旧に復すること、元の勢いを取り戻すこと。実際に、9年たった福島を眺めると、元に戻せなかったことも多くあるのですが、あの当時は、「一致団結して、絆を大切にして、原発事故以前の福島を取り戻そう」という機運が非常に強かった気がします。

それと、今の状況とまったく異なるのは、一部の風評被害を除けば、世界中の目が福島に集まっていて、福島を助けようとしてくれたこと。

今は、世界中が病んであえいでいるか、病み上がりでふらふらしているかです。

「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか」。(詩編121:1)

考えてみれば、イエスを救い主(キリスト)と信じること、洗礼を受けること、さらに修道生活のような特殊な生き方を選ぶこと・・・実はどれも以前の生活に戻れるわけではありません。

特別な時しか意識できないかもしれませんが、ひとつの宗教や信条、ある特定の人(たとえば結婚相手)を選んで生きるとは、もう後戻りできないことです。たとえば改宗や離婚・再婚のようにやり直しはきくかもしれませんが、それをなかったことにはできないのです。

現時点で首都圏と北海道にだけ続いている緊急事態宣言。これが解除され、さらに新型コロナウイルス感染症が終息したとして、次にどのような世界が現れるのでしょう。どのような世界を作っていかなくてはならないのでしょう。

そう考えると、不安な思いばかりが先立ちます。

私たちは、歴史の頁を一枚めくる、そのさなかに立っているようです。

ちょうどイエスの弟子たちが、イエスが昇天される様を口を開けて見ていたように。

「以前の生活に戻れるという考え方は捨てるべき」、という強い発言にもまして、私たちが心の中に響かせなくてはならないのは・・・

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」。

この一言だと気づきました! ポカンとしている愚かな私ですが、いつも共にいてくださることを信じます。    (Sr.斉藤雅代)

≪聖書箇所≫ マタイ 28:16-20

(そのとき、)十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。そして、イエスに会い、ひれ伏した。しかし、疑う者もいた。イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」