1/23 若い人のための日曜日の聖書 年間第3主日 ルカ 1:1-4, 4:14-21

あるところで出会った美しい聖母子像

大寒の寒さ厳しい中、ふと気づくと、自然は着々と春の準備をしています。木蓮のつぼみは銀色に輝き、沈丁花の花芽がふくらみ、水仙とヒヤシンスはすくすくと大きくなり、桜は次第に木全体がピンクがかってきています。

源氏物語の中に、春と秋のどちらを好むか、という話があります。私は、若いころは秋のものさびしさが好きでしたが、最近は春の方が待ち遠しくなりました。

さて、今回の福音箇所からは、宣教を始めようとする若いイエス様の何とも頼もしく颯爽とした姿と、取り巻く人々の期待に満ちた表情が浮かんできます。

「イエス様、カッコイイ!」と思わず見惚れてしまうような。

 

でも、現実はどうだったのでしょうか。

この箇所に続くところでは、人々はいったんイエス様の「口から出る恵み深い言葉」に驚きますが、イエス様が一言二言鋭い指摘をされると、「イエスを町の外へ追い出し、町が建っている山の崖まで連れて行き、突き落そうとした」とあります。イエス様は素早く身をかわして立ち去りました。…これが、イエス様の宣教のはじめであり、私たちがキリスト者としてついていこうとする方の真の姿です。

イエス様の宣教生活は、最初から、そして最後まで、一般的な意味での成功とは遠いものでした。神様だけがその事実を知る孤独な闘いでした。

実は、今週は私にとってとても不思議な週でした。あるところで「シスターである」というだけで大歓迎され、その二日後に、どう考えなおしてもいわれのないことで、厳しく責められました。ルカ4章のイエス様とちょうど同じ体験、と言ったら僭越かもしれませんが。心地よい体験を拾って、心がざらざらする体験を捨てるのでなく、いずれも「神様からのプレゼント」としっかり受け止めていきたいです。

立春まであと2週間弱です。

 

≪聖書箇所≫ ルカ 1:1-4, 4:14-21

(わたしたちの間で実現した事柄について、最初から目撃して御言葉のために働いた人々がわたしたちに伝えたとおりに、物語を書き連ねようと、多くの人々が既に手を着けています。そこで、敬愛するテオフィロさま、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。
(さて、) イエスは“霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた。その評判が周りの地方一帯に広まった。イエスは諸会堂で教え、皆から尊敬を受けられた。
イエスはお育ちになったナザレに来て、いつものとおり安息日に会堂に入り、聖書を朗読しようとしてお立ちになった。預言者イザヤの巻物が渡され、お開きになると、次のように書いてある個所が目に留まった。
「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。
主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、
圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」
イエスは巻物を巻き、係の者に返して席に座られた。会堂にいるすべての人の目がイエスに注がれていた。そこでイエスは、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と話し始められた。