12/4 若い人のための日曜日の聖書 待降節第二主日 マタイ3:1-12

寒さの中で咲き始めたローズゼラニウム

「今日初めて、新しいミサ曲をききました。感動しました」。

金曜日の朝、修道院でごミサをしてくださった、C神父様の言葉。まだまだ下手な歌をほめていただいて恐縮です。

「今日は、ここまで間違えないでできました」。

今朝、修道院でごミサを司式してくださったL神父様の、お説教の前置き。

私たちも同じ気持ち。この1週間は、ごミサの言葉が新しくなったので、ハラハラドキドキでした。そして受洗前後の頃を懐かしく思い出しました。ごミサに与れるのが嬉しくて嬉しくて、時間が許せば平日の朝ミサや夕ミサにも自転車を走らせて通いました。

修道院に入ってから、逆にごミサに与ることが日常茶飯事になってしまって・・・唱えるべき言葉の変化は、よい刺激ともいえます。

そして、毎年待降節に現れてくださる聖ヨハネの「悔い改めよ」という言葉を、あらためて真摯に受け止めたいと思いました。ミサに慣れるということは、霊的な惰性ともとれます。慣れ親しんで、私の血となり肉となっているなら素晴らしいですが、ミサを生きているか、と問われれば、返答に窮してしまいます。この待降節は、自らの在り方を問い直すとともに、新しいごミサの言葉の意味を噛みしめながら、姉妹たちと声をそろえて唱えていきたいです。3週間後のご降誕には、新しい言葉が私たちの血肉となっていますように!

≪聖書箇所≫ マタイ 3:1-12

そのころ、洗礼者ヨハネが現れて、ユダヤの荒れ野で宣べ伝え、「悔い改めよ。天の国は近づいた」と言った。これは預言者イザヤによってこう言われている人である。
「荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
ヨハネは、らくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ物としていた。そこで、エルサレムとユダヤ全土から、また、ヨルダン川沿いの地方一帯から、人々がヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。
ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」