12/10若い人のための日曜日の聖書 待降節第2主日 マルコ 1:1-8

修道院特製のクッキー。小さなカードには、特別な思いを込めて、詩編122を記しました。

先週の待降節第一主日から、カトリックの典礼暦(3年サイクルで、A年、B年、C年がめぐってくる)の上ではB年が始まりました。

このB年の待降節第二主日を、私はひそかに「メサイアの出だしの主日」と呼んでいます。第一朗読が、イザヤ書の40章。

「慰めよ、私の民を慰めよと、あなたたちの神は言われる」

ヘンデルの『メサイア』の一番最初のレチタティーヴォ(アッコンパニャート)とアリアの歌詞です。
甘いテノールの、声の聞かせどころ!
そして「主の栄光がこうして現れるのを肉なる者は共に見る」と高らかに続くコーラス!

この季節ごとに全曲を通して歌った学生時代がとても懐かしく思い出されます。

さて、第二朗読を経て読まれる福音箇所に引用されているイザヤ書も40章。これ以上メサイアのことを書くときりがないので、聖書そのものに戻りたいと思います。

洗礼者聖ヨハネは、「慰めよ」という神様の愛と慈しみの声を十分に聴きながらも、あえて厳しい道を選び、イエス様の先駆者となります。その昔の預言者エリアを偲ばせるような、荒れ野でのすべてをそぎ落とした生活。だからこそ、人々に向かって悔い改めを呼び掛けられるのでしょう。

「私よりも優れた方が、後から来られる。だから、早く準備しなさい」。

この待降節、イエス様のご降臨を待ち望みながら、少しでも無駄をそぎ落とした生活をしたい、ヨハネの清々しい生き方を修道者として少しでも見習いたい、と思います。

主よ、どうか私をあらゆる傲慢から清めてください。

 

≪聖書箇所≫ マルコ 1:1-8

神の子イエス・キリストの福音の初め。預言者イザヤの書にこう書いてある。
「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、あなたの道を準備させよう。荒れ野で叫ぶ者の声がする。
『主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。』」
そのとおり、洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」